線文字Aの女

血と、ローズダストの色彩が濃く染みた粗い石英の粒子。そしてジルコンを含んだ研かれた花崗岩の階段がつめたい光沢をともなって果てしなくオリンポスの山の頂から薄紫の色に滲んだ淡い雲の間にのびている。エーゲの海を見おろし、輝かしい青に散る島々の宮殿と天にまでとどいた大理石の円柱。それらの、白い柱の側面にふかく刻まれた「線文字A」による神々の名前。沈黙したままの火山の島を眺め、眩しい光と異教の女たちの濡れた唇が、淫らな私の欲望を募らせる。肥沃な大地と紺碧との泡立つ水の境に、切立った今にも崩れそうな崖の、垂直に剥きだした土(テラロッサ)の赤と紫とを混ぜた逞しい地肌が、まるで目の前にいる一人の謎めいた女の底抜けに陽気で残忍な気性をあらわに露出させているかのようで少し怖かった。潮風のはこぶ甘い誘惑が虚空に目覚めを呼びおこす砕けた波の飛沫とともに、すでにテーブルにならんだクリスタルグラスへと、つまり半月状の薄切りの檸檬と女性器そのものを想わせる殻付きの生牡蠣を盛ったステンレス製の皿をまえに鈍く光る黒真珠の耳飾をした巻髪の女が笑うと、私は指を鳴らして若くハンサムなウェイターにワインを注がせた。

いつしか富と名声がテラス席を離れて、帆船のうかぶ海の小波に煌びやかな輝きを与えていた。食事のあと、白い壁と、白い階段のつづく町をふたり歩く。恐ろしく急こうばいの狭く不条理な坂道のそこかしこに、鮮やかなピンクのブーゲンビリアが植えられていた。「君は何を‥‥何をしたいのか? それとも‥‥」

「例えば、触媒核融合型のような純粋水爆なら複雑な国際間においてさえ小国の戦術核として眼を瞑ってもらえる可能性があるかも。しかもそれは戦争屋たちに絶好のビジネスチャンスを与えることになるわ」

「考えてもみて。自分たちをも殺しかねない大規模殺傷型の使えない兵器と、ピンポイントで確実に敵を殺す事の出来る小型軽量かつクリーンなそれとどちらに大勢客が付くかを」

夕日を浴びたネア・カメニの山は、しかし沈黙したままだった。世界とは、幾つもの文明によって支えられた戦いの神々の住まう家なのだ。いや、神々とは、隠された富と名声‥‥。女の手が、私の口を塞いだ。「戯言は止しましょう。――やがて訪れる漆黒の闇は、もしかして私たちにとっての秘密を覆うベールかもしれないわ」「OK、君と取引しよう、たとえ北半球の多くの国々を滅ぼすとしても‥‥」「そのまえに共に哀れな人間であることを互いに確かめたいわね」「ああ、同感だ」

この夜。けして私は、卑しい武器商人などではなかった。少なくとも、戦いの神であるアレウスの情婦のまえでは。 

カレーの庶民

たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ。煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、男の料理だし、丁寧に作るつもりなど初めからまったくない。肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた。白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている。外は雨だ。閉めきった夏の家はスチームサウナみたいになっていて、窓という窓はぜんぶ曇っている。扇風機がひとり淋しく風を送っているが、蒸し暑くて敵わない。水冷式クーラーならリビングに設置してあるが、あいにくと此処は飯を食べる場所だ。そもそも避暑の家にクーラーがあるというのもなんだか可笑しい。それでも冷蔵庫を開けると肌寒い靄が魔法のようにあらわれて少しばかり嬉しくなった。麦茶をコップに注いで、書き物をしているキッチンテーブルの上のノートに目をやる。パーカーの万年筆が開かれたノートの上に無造作に置かれてあり、それは「たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ」と記したばかりだった。水とルーだけのカレーというのは、戦後になって売り出された即席カレーのことなのだが、ほとんどの家庭では、肉と玉葱を炒めたあと人参と馬鈴薯をルーと一緒に煮込んで作るはずだ。冷たい麦茶を飲んで、首にかけたタオルで汗を拭く。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりなのだが、私のカレーの作り方は、他所とはずいぶんと変わっていた。とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ。ガラス窓をいきおい伝い落ちる水の向こうに巨きな緑の物影が揺れ動いている。あまりテレビは見ないが、どうも台風が来ているらしい。カレーが煮えたようだ。茄子とキャベツの野菜炒めをぶち込もうとした矢先、ダイヤル式の黒電話が鳴った。受話器を取ると、妻からで「東京タワーにモスラが繭をつくった」という。もうじきそっちも暴風圏に入るぞと言うと、「モスラの繭はどんな風にもびくともしないでしょう」と強い確信をもって言った。勝手にしてくれ、ふとキッチンテーブルの上のノートに目をやると「肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた」という嘘が書かれてある。肉がないだと? 肉ならきのう買ったぞ、牛肉の上ロース。それに缶詰のコンビーフだってあるし、ソーセージだってある。だいいちカレーに竹輪と蒟蒻はないだろう? ふたたび妻が電話してきた、「あなた今どこ?」――葉山、おまえ馬鹿じゃないの。ここにいるって知っているから電話してきているんだろ。そんなことより台風が上陸するらしいぞ。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、ノートを見ると「白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている」等と虚偽が記されている。「外は雨だ」とも太字の青いインク文字で綴られていた。嘘だろ、いつから俺はこんな嘘吐きになったんだ。ヤモリなんかいない。外も雨じゃない、またよく読むと、「とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ」という全く事実でない戯言がさも事実であるかのように書いてある。嘘だ、嘘だ、嘘だ! 俺の書くやつはぜんぶ出鱈目で大嘘だ。ここは葉山じゃないし、たった今この俺は昭和時代に建てられた古びた木造の別荘なんかに居ない。「水冷式クーラー」ってなんやねん。「パーカーの万年筆」? いまどきキーボードやろ。もうだれもこの俺の書くやつを信じないし読まないぞ。おっと、妻からの電話だ、「カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めを入れるんでしょ?」知らねえよ、切るぞ。ガチャッ! なんだか蒸し暑くて敵わない。茹だる頭の中でふたたび電話が鳴った。テレビは、ウソしか伝えていない。東京タワーにモスラが繭をつくったという‥‥「あなた今どこ?」

チビけた鉛筆の唄

かたく凍った夢を砕いて
画用紙に宇宙を描いて暴れだす
果てのない星々の海は瞬き、
チビけた鉛筆が一本
煌く銀河を縦横無断に奔る


つめたく凍った言葉を融かして
原稿用紙に文字を紡いで歌いだす
美しい旋律は心の深淵をなぞり、
チビけた鉛筆が一本
壮大なシンフォニーを弾き語る


やがて純銀の軸に収まり
窓辺を透かしの帳が泳いでいた
風に、捲れる日誌の傍らで
チビけた鉛筆は一本
ごろごろ、ただ転がっている

 

 

アフリカ鍋

アフリカ鍋には
キリンさんの首と頭がまるごと入っている
そういうと、
動物愛護協会から
クレームが来るかもしれない

キリンさんも可哀そうだが、
それならなんで戦争がなくならないんだ

アフリカ鍋には
怨みがたっぷり入っている
動物だけじゃない
にんげんのこどもや
かよわいおんなと老人
不治の病に伏したひとの
かなしみと、
絶叫、悲鳴、蒼褪めた顔を
もう何百年も煮込んで溶かした
裏切りと金儲けのエキスが
すばらしく染みた
美しく残酷な
血の色のスープが薫る
呪われた鍋だ

そんな料理が
世界にはまだ沢山ある

まるごと一匹、
象さんと
純度の高いアヘンを入れた
東南アジア・黄金の三角鍋だの
武器や弾薬を
ラクダに詰めて煮込んだ
中東・イシス鍋とか

キリンさんの首と頭だけじゃない
ぼくたちの世界は
じつに怪奇で
沢山の残虐非道に満ちているけど
湯気に紛れた顔の君も、
そんな世界の鍋を囲む一人なんだってこと
どうか忘れないでほしい

名もなき夏の島にて

  atsuchan69

真下に拡がる海原は
厳しく削られた岩の入江を包み、
とうに半世紀を過ぎた
今しも汽笛の鳴る港へと
煌めく漣(さざなみ)を寄せて

夏の賑わいが恋人達とともに
古い桟橋を大きく揺らして訪れる
そろって日に焼けた肌や
水着姿の往きかう坂道だの

あの日、キスばかりして
砂浜に忘れた浮輪とパラソル

燥(はしゃ)ぐ声を砂に埋め、
渇いた唇で忙しく即興の台詞をならべた
渚に残したいくつかの記憶は
失くしても、きっと悔やみなどしなかった

白いペンキの眩しくかがやく
樹々に隠れた丘の家で
時折、海を眺めて沈黙した
夕凪の吹くテラスの粗末なテーブルに
君が仲直りのカクテルを運ぶと
ふたたび口論をはじめて・・・・

「いつかまた逢いましょう
化粧をする鏡の中で
別れ際にそう云ったから、
君が立ち去った後も
ずっと僕は此処に留まったんだ

そのうち俄(にわか)漁師でも演じて
博打で船を一艘ぶん捕れば
ようやく君を忘れてもよい頃だと思った
時化(しけ)の夜に船を出し、
やがて大波をかぶり海の藻屑と消え‥‥

――つづきを話そう、

強い風に鳥たちが流されてゆく
気紛れな海は忽ちにして豹変した
岩場に叩きつけられた白波が砕け、
それは遥かに人の背よりも高い

僕は一羽の海猫に生まれかわり
今日も必死で、この辺りを飛んでいる

スヴァスティカ

  ○
   。 
  。 ゜ 〇
ぶくぶくと発酵し、
白く泡立ったパロール
プチン、パチンと弾ける刹那
闇に包まれた沈黙の森へ
微少の琥珀金を含んだ飛沫を散らす、
ランゲルハンス細胞の 突起

煮えたぎる
夜と、
瀝青の黒に映える
 「ワン・センテンス/椀子蕎麦

俯瞰するイメージは、
血まみれの過去を遠く置去りにした
 女//
無限遠被写界深度によって
像をむすんだ、南高梅
赤い楼閣の建ち並ぶ 永谷園
食卓のクローズアップ・・・・

刃こぼれした拙いことばや
陰影の醸しだす強い生命の匂い。
脂の効いた軽やかな厚味、
独特な切り口でみせる 
濡れた金星(Venus) その日常の悶え

枯れ落ち葉のうかぶ沼の安らぎと
敷き詰められた権威が澱む深緑の面に
構・築・さ・れ・た 基礎を一瞬にして壊す、
 わずか一滴の毒にも似た
淫らな蘇芳に染まる 起立した♂(アソコ)

怪奇なるマーブル模様の波紋を描いて
ざわめく数式の破綻 と、怯え
薔薇の花弁を這う仮面のラング・ド・シャ
濡れた舌の精緻な軌跡さえ狂う、
あまりにも乱暴な筆致の――オチンコ。
想いは、嵐の海に泣き叫ぶ 声
 「あはあ、あはあ・・・・

薄墨色の空に渦巻く、ルーン文字
破れはためく帆を幾度もたたき照らす光
 ――ドドンガーガー!
大粒の雨と吹きずさむ、異界の風と叫び )))

 暗転/
爽やかな慈愛にみちたエーゲの牡蠣、
 おお、स्वस्तिक
――「歓び」そのもそのよ!

今しも死者を乗せた船に
セイレーンたちが降り立つ
やがて波に呑まれてゆく陽気な言葉たち
美しい音色を残して砂の海へと沈む

 「いやーん、ワン・センテンス/ワン・タン、麺。

なんて卑猥で下賎な飛沫なのだろう
 呪われた言葉よ、魔物たちよ
  泡立つパロール
――「歓び」そのもそのよ!


※स्वस्तिक/スヴァスティカ。表記不能なWebブラウザが存在します。

ミリンダ/メリンバ

ミリンダ/メリンバ  /夏の山
 とおく遥かに海の碧(あお)
  白いさざなみ 風の吹く
 寂れた町へも吹き降ろす
   ちぎれた葉っぱは飛んでゆく//

ミリンダ/メリンバ  /乗る葉っぱ
 とおく遥かに荒れた空
  雷ゴロゴロ 光る音
 野山へにわかに蔽う雲
   風はたちまち秋の色//

ミリンダ/メリンバ  /泣き出した
 たなびく空の魔の翳り
  大粒の雨 落ちてきて
 葉っぱは流れる川の瀬に
   沈む虫けらもがく翅(はね)//

ミリンダ/メリンバ  /抱き合った
 雲の合間に射す光
  雨は過ぎ去り 澄んだ空
 泥にまみれた蜻蛉(せいれい)の
   朽ちた夏の日すぎて行く//

ミリンダ/メリンバ  /秋の空
 甘い刹那もにぎわいも
  虹とともに 消え去って
 小さなかなしみ埋めた場所
   ながれ過ぎゆく白い雲//

ミリンダ/メリンバ  /思い出は
 波打つ未来の引き潮に
  砂に残った 貝殻の
 寂しい蛻(もぬけ)の殻一枚
   夢を残した真珠色//
 
ミリンダ/メリンバ  /風の歌
 とおく遥かに歌う声
  秘めた祈りは 子らの手に
 消さずに残した落書きの
   やがて詩となり木霊する//